高麗橋

大川から分岐していますが、大坂城築城の
際に、外堀として改修されたそうです。
東横堀川に架かるのが葭屋橋、今橋、
「高麗橋」……。江戸時代の高麗橋は
12公儀橋の1つで、西詰には江戸幕府の
制札場が設けられ、里程元標も建っており、
「中国街道」の起点ともなっていましたね。
明治3年(1870)、大阪では初めての鉄橋
「くろがね橋」に架け替えたのが、本木昌造。全国では3番目だったようです。
現在の鉄筋コンクリート・アーチ橋に架け替えられたのは昭和4年(1929)。
欄干の擬宝珠や西詰に在った「難波高麗館」(櫓屋敷)を模した柱が目印。
ぼくは橋を渡る人で、橋を見る人という自覚が薄くて、撮影後、
いつもロケーションを誤るなあ、と画像をチェックしては反省ばかり。
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