百尺規制
「百尺規制」なんていうものは、大阪市の御堂筋だけ
と思い込んでいたのは、とんでもない井の中の蛙。
大正8年(1919)に公布された、建築物の高さを100尺
(約30.303m)に制限する「市街地建築物法」に基づき、
大正9年(1920)交付された「市街地建築物法施行令」は
大阪市を含めての六大都市に適用されていたのでした。
後年、六大都市に加えて、全国41都市まで適用を拡大。
第7代・大阪市長、関一により、地下鉄・御堂筋線の建設と並行して、
道幅6mしかなかった道路が幅員44m(24間)に拡幅されて、
現在の御堂筋の姿が完成したのが昭和12年(1937)。
いわゆる“大大阪時代”の出来事となりますね。
中之島の大江橋、淀屋橋も同時期、昭和10年(1935)の竣工です。
昭和6年(1931)には、市街地建築物法の改正があり、
高さ制限が尺貫法の100尺から、メートル法の「31m」に微修正。
昭和38年(1963)7月16日に創設された容積地区制度により、
百尺規制のような高さ規制から、容積率による規制に移行し始めます。
御堂筋では平成7年(1995)、軒高31m制限が原則50mへと緩和。
(上層部を10m後退させれば、最高60mまで可)
軒線の揃ったスカイラインの保全・形成が難しくなりつつあり、
第19代・大阪市長、橋下徹の頃から、さらなる緩和へずるずると。
2013年末、大阪市都市計画審議会が高さ100m超に規制緩和してから、
現在は「三菱東京UFJ銀行」大阪ビルが建て替え中ですけれども
……「芝川ビル」の斜め向かいに当たるのが、何とも興醒め。
と思い込んでいたのは、とんでもない井の中の蛙。
大正8年(1919)に公布された、建築物の高さを100尺
(約30.303m)に制限する「市街地建築物法」に基づき、
大正9年(1920)交付された「市街地建築物法施行令」は
大阪市を含めての六大都市に適用されていたのでした。
後年、六大都市に加えて、全国41都市まで適用を拡大。
第7代・大阪市長、関一により、地下鉄・御堂筋線の建設と並行して、
道幅6mしかなかった道路が幅員44m(24間)に拡幅されて、
現在の御堂筋の姿が完成したのが昭和12年(1937)。
いわゆる“大大阪時代”の出来事となりますね。
中之島の大江橋、淀屋橋も同時期、昭和10年(1935)の竣工です。
昭和6年(1931)には、市街地建築物法の改正があり、
高さ制限が尺貫法の100尺から、メートル法の「31m」に微修正。
昭和38年(1963)7月16日に創設された容積地区制度により、
百尺規制のような高さ規制から、容積率による規制に移行し始めます。
御堂筋では平成7年(1995)、軒高31m制限が原則50mへと緩和。
(上層部を10m後退させれば、最高60mまで可)
軒線の揃ったスカイラインの保全・形成が難しくなりつつあり、
第19代・大阪市長、橋下徹の頃から、さらなる緩和へずるずると。
2013年末、大阪市都市計画審議会が高さ100m超に規制緩和してから、
現在は「三菱東京UFJ銀行」大阪ビルが建て替え中ですけれども
……「芝川ビル」の斜め向かいに当たるのが、何とも興醒め。
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