戦時下の生大豆粉

戦時下の家庭食品として、生大豆粉という経済と栄養と美味を兼ねた新食品が現れました。大豆が栄養に富んで居ることは誰方も御存じのことですが、この大豆粉はいろいろの料理に応用が出来、肉や玉子の代用として充分栄養が摂れる便利なもので、陸軍糧秣廠などでも非常に推奨しております」(白井鶴子『婦人倶楽部』昭和14年12月号)。この生大豆粉は、ほうろくで炒ってきな粉のようにして使うか、豆乳状にして使うのが一般的だったという。

斎藤美奈子著の『戦下のレシピ』では、当時の婦人雑誌に載った料理の作り方を通して戦争中の食生活史を探るという試みが為されている。コメをできるだけ節約する「節米料理」が流行し、コメの配給通帳制が始まったころでも、1941(昭和16)年までの婦人雑誌の料理ページにはそれほど大きな動揺や変化はなかった。しかし「十五年戦争」が1931(昭和6)年の柳条湖事件(満州事変)、1937(昭和12年)の盧溝橋事件を契機とした日中戦争を経て、1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争の第3局面を迎えた時、婦人料理の料理記事も急速に緊張感を高めた。

コメだけでなく、食料品、衣料品、燃料など生活必需品のほとんどが配給制に移行し、料理ページにも配給制を前提とした記事が増えてくる。食生活で主食のコメと同じくらい重要なのはたんぱく質だが、肉や卵、魚などは十分な配給を期待できない状況だった。そこで魚介以外のたんぱく源として注目されていたのが大豆である。

しかし、豆腐や納豆といった伝統的な大豆加工食品はぜいたくな部類で、戦時レシピに頻出するのは「生大豆粉」「大豆粉」と記されたものや「卯の花(おから)」などである。「生大豆粉のままでは、非常に青臭くて食べられませんから、一旦火に通して用います」(『婦人倶楽部』昭和17年12月号)といった指導も見られるが、当時の代替肉として開発された植物たんぱく食品としての「生大豆粉」の正体は、「脱脂大豆(油を絞った後の大豆かす)を乾燥させた粉(大豆フラワーまたは大豆ミール)だったのではないか」と斎藤氏は推測している。

参考文献:斎藤美奈子『戦下のレシピ』(岩波アクティブ新書)
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通りすがりの夢想家。元(にして最後の)「トーヨー新報」編集人。現在は、一介の編集素浪人?



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「トーヨー新報」は、昭和33年(1958)創刊。大豆加工品(豆腐・油揚げ、納豆、豆乳、湯葉、凍り豆腐、もやし等)、こんにゃく、総菜業界をメイン購読者層に、月3回の旬刊紙「トーヨー新報」や業界関連データブック『豆腐年鑑』を発行。平成25年(2013)12月21日号、第1851号をもって終刊に至る。

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