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木谷千種

図録の作家解説から、木谷千種(1895~1947)の項目を書き写しましょ。
縦書きから横書きにするに当たって、和数字を洋数字に書き換える等、
一部変更しています。執筆者は、「大阪中之島美術館」の小川知子氏。
       ☆
大阪市北区堂島浜通に吉岡政二郎の子として生まれる。本名は英。二歳で母を亡くす。明治40年(1907)、アメリカのシアトルで小学校に通いながら絵を学び、同42年に帰国。大阪府立清水谷高等女学校に通い、深田直城に花鳥画を学ぶ。大正2年(1913)頃、女学校卒業前に上京、池田蕉園塾に入門し人物画を学ぶ。大正3年に帰阪し、北野恒富、野田九浦に師事。池田市在住の叔父・吉岡重三郎宅に寄寓。
大正4年、第9回文展に《針供養》で初入選。大正5年、《産毛抜き》と《父恋し母恋し》を文展に送るがいずれも落選。同年、「女四人の会」に参加し、『好色五人女』の八百屋お七を担当。大正7年、第12回文展に《をんごく》で入選し、同8年、竹内栖鳳の紹介で菊池契月に師事、京都に転居。大正9年4月、近松研究家の木谷蓬吟と結婚し、同年、大阪の自宅に八千草会を創立。大正14年、向日会結成に参加。同年、大大阪記念博覧会における「生活と芸術の大阪館」で4月に開催された「絵の大阪展覧会」に大阪から菅楯彦、北野恒富、赤松雲嶺、矢野橋村とともに参加。同年前後、宝塚少女歌劇団『歌劇』(千種の叔父・吉岡重三郎が編集発行人)に千種と八千草会門下生がたびたび挿図や記事を寄せる。『歴史写真』の表紙絵を門下生とともに多数描き、夫・蓬吟の著書の装幀や挿絵も手がけた。大正15年、画塾を八千草会研究所と改称し、女性画のほか、庭の草花を写生させて花鳥画も教えた。塾展を大正15年から開催し、自身も参加。昭和14年(1939)11月、神戸オリエンタルホテルにて個展。昭和5年、西成区南吉田町より大阪府中河内郡長瀬村外島(現・東大阪市)に転居し、同19年、大阪府南河内郡高鷲村東大塚(現・羽曳野市)に移る。近松研究会が妙法寺に建立した木谷蓬吟・千種夫妻の顕彰碑は高津宮に移設されている。


参考文献:『決定版! 女性画家たちの大阪』(大阪中之島美術館、産経新聞社、関西テレビ放送)

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 美術文楽小説演劇史跡

女四人の会

「女四人の会」 左に掲げた画像は、大正5年(1916)、
 「大阪三越」における「女四人の会」。
 左から岡本更園(1895~没年未詳)、
 木谷千種(1895~1947)、島成園
 (1892~1970)、松本華羊(1893~
 1961)と並んでいます。吉岡(木谷)
 千種は、池田蕉園の蕉園塾における
 松本華羊の後輩でした。大正5年5月、
 「女四人の会」は1回限りの開催。
       ☆
 島成園の文展入選(1912)は、絵を描く若い女性たちを大いに鼓舞した。当時の美術界は東京と京都の男性画家が大半を占め、文展に入選経験のある女性日本画家は上村松園、池田蕉園を筆頭に数えるほどだった。成園に続いて大正4年(1915)までに大阪から岡本更園と木谷(旧姓・吉岡)千種、松本華羊が文展に入選する。
 岡本更園は第8回文展に《秋のうた》でデビューした。義兄・岡本大更(1879~1945)に学んだ更園は第10回文展にも入選し、星野や大江の姓でも制作した。
 木谷(吉岡)千種は東京で池田蕉園に師事した後に帰阪し、北野恒富や野田九浦、京都の菊池契月に学んだ。大阪の伝統行事や人形浄瑠璃などの画題を好み、長く官展で活躍する。画塾「八千草会」では多くの後進を育てた。
 東京出身の松本華羊は池田蕉園と尾竹竹坡に学んだ。大正4年、父の大阪勤務に伴い来阪し、大阪画壇の一員として活動した。
 いずれも二十代前半で文展に入選した成園と更園、千種、華羊は、井原西鶴『好色五人女』を研究し、大正5年にその成果を「女四人の会」展で発表した。若い女性による生意気な行動だと不興を買いもしたが、因習的な美術界に新風を吹き込む胸のすくような快挙であった。


参考文献:『決定版! 女性画家たちの大阪』(大阪中之島美術館、産経新聞社、関西テレビ放送)

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 美術文楽小説

女性画家たちの大阪

来週末の「大阪シニア大学」まちあるき(3月1日)の下見に
参加しています。何と言うか、部外者意識を感じさせられた
経緯があるので、怜悧に観察することが出来る機会です。
大阪天満宮」から「泉布観」まで。14時から(2時間では
なく)90分間で終了したため、時間に余裕が出来、16時半、
相方と西梅田で合流。肥後橋から歩いて、「大阪中之島
美術館
」に足を運びました。幸い、2月10~25日の期間は
18時まで開場しているのです。もっと多くの美術・博物館が
18~19時まで開いていると有り難いのですけれども。展示
内容は、昨年の「大阪の日本画」に続きまして、決定版!
女性画家たちの大阪」。楽しみにしていました。日本画は
そう好きでなかったのですが、近年、好みが変わってきたか、
中之島美術館に限らず、あちらこちらの会場で目にしてきた
作品との再会も懐かしく、閉館ぎりぎりまで見入っていました。
今回のお目当ては木谷千種。「をんごく」は前期展示でした
けれど、「芳澤あやめ」、「浄瑠璃船」、「藤娘」に和みます。
最近、井原西鶴を復習しているため、島成園「西鶴のおまん」、
岡本更園「西鶴のお夏」にも、ぐっと来ましたね。図録の他に
「浄瑠璃船」、「西鶴のおまん」、生田花朝「だいがく」のポスト
・カードを購入。Osaka Metro で西梅田(梅田)に戻りますと、
夕飯時で、「阪急三番街」の「しゃぶ菜」に入っているのです。

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 美術近代建築文楽小説呑む

When You ...

大阪駅前第1ビル」B2Fで、天然石を取り扱う
FIVE CRYSTAL」に立ち寄りました。前身は
輸入民芸品雑貨衣料「ジャンボ」と記憶しており、
店舗の位置もコンタクト・レンズのショップの辺り
だったかと思われ……数十年前(S新聞時代)から
インセンスや香炉を買い求めていました。今回は
2月の誕生石(アメジスト)とチェーンを見繕い(計
6,100円)。帰社のルート上、「大阪駅前第2ビル
B2Fに移りますと、レンタル・ボックス「CABIN」で
髑髏のネックレス(2,100円)を入手。お買い得かな。

テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

tag : つぶやき

関一と鴈治郎

小ネタがふんだんに盛り込まれていて、目移りしてしまう
昭和43年(1968)9月1日発行の『大阪百年』(毎日新聞社)
から、嗚呼、そういう年だったのか! 慨嘆した文章を引用
してみましょうかね。点(年号)と点の羅列でなく、一本の線
としてつながり、広がりを持ち、一つの時代が浮かび上がって
くるように思えたのです。「(初代)鴈治郎の死」という一節。
       ☆
 ちょと信じられないような話だが、昭和十年(1935)二月一日未明、歌舞伎俳優の初代・中村鴈治郎(1860~1935)が死んだとき、大阪毎日も大阪朝日も争って号外を発行した。新聞に号外を出させた役者は、あとにもさきにも、この鴈治郎だけである。ちょうどこの日は“御堂筋と地下鉄の関市長(1873~1935)”の市葬が午後から天王寺公園で行われており、号外を手にした市民の心は暗かった。
       ☆
 鴈治郎の芸は、こってりした大阪の味だった。上方歌舞伎の伝統だった写実精神をさらに一歩推し進め、ことごとに写実的表現にこだわった。血ノリのついたワラジをはいたり、牛のハク製を引っぱり出したり(このハク製は急ごしらえ。その悪臭に“牛の足”役が吐くさわぎで、さすがの鴈治郎もひっこめた)、どの芝居にも工夫をこらした。谷崎潤一郎(1886~1965)などは「コセコセ、ゴテゴテして、まるでアンコロ餅の“塩から”のようだ」とこきおろした。
       ☆
初代中村鴈治郎の舞台生活は六十三年間におよび、その存在があまりに大きくはなやかだったため、死後の関西歌舞伎はまるで火の消えたようになった。
       ☆
昭和7年(1932)、5.15事件
昭和8年(1933)5月20日、地下鉄1号線(御堂筋線)の梅田駅(仮)開業。
昭和10年(1935)10月6日、梅田駅本駅が開業。
昭和11年(1936)、2.26事件
昭和12年(1937)5月11日、御堂筋(街路)が竣工。日中戦争開始。

テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

tag : 演劇小説

やみつき台湾

2024_02_17_神戸発 旨辛カレー「spice32」 ちょっと前から新メニューが気になっていた神戸発・旨辛
 カレー
spice32」(大阪駅前第1ビルB2階)に突入。
 選択肢が増えて困ってしまうのですが、今日のところは
 “やみつき台湾カレー”(1,180円)に、W台湾ミンチ(+
 460円)を注文してみました。ルウは以前と同じく2種用意
 されていまして、スパイシー(超辛口)とフルーティー(中
 辛口)。ぼくは当然スパイシー。と言っても、「スズメバチ
 時代とは比べ物になりませんけれど……「spice32」に
 替わって、しばらくは提供されていたニンジンのピクルス
 (食べ放題)も無くなっているのよねえ。ともあれ、続けて
 いってほしいもの。疲れ果てた身体に、するすると呑み
 込まれていきましたよ。第2ビルに移動すると、湿布薬
 (痛み止め)を購入。金券ショップで、展覧会のチケットも
 3種、買い足しています。会期中に足を運べなかった!
 なんてことがないように、しっかり、予定を組みましょう。

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : カレー美術

近松を歩く

2月16日(金)10時から、「北区ぶらぶら 2023」の第9回、
近松を歩く」を開催しています。「今はなき蜆川と道行きの
足跡と堂島薬師堂界隈を歩く
」……サブ・タイトルが冗長なのは、
例年だと、「堂島薬師堂」の「節分お水汲み祭り」に合わせて
実施していたところ、今回は祭り(2月2日)が既に終わった後で、
「近松を歩く」が前面に出てきたため。結果的に、それが良かった
と感じています。宙ぶらりんな状態でなく、正面切って、近松
門左衛門
『曽根崎心中』『心中天網島』を取り上げ、加えて、
『仮名手本忠臣蔵』『五大力恋緘』について語れますからね。
正午、名残惜しくも、出入橋交差点で解散。Eさんらが昼食を
取っていた大衆酒場どんがめ」大阪駅前第2ビル店(B1F)に
押しかけ、Nさんらと歓談。その後、I さんと立呑み処七津屋
大阪駅前第2ビル店(B2F)に流れていきましたか。徹夜明けで
ふらふらとなり、腰痛も不安の種でしたが、とりあえずはクリア。
締めとして、「大栄食堂」に立ち寄ったような記憶も朧げに有り。

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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡文楽演劇呑む

堂島座

初代 中村鴈治郎(1860~1935)と堂島座
初代中村鴈治郎は、明治から大正、昭和にかけての激動期を生き抜いた上方歌舞伎の第一人者として知られる。近松門左衛門の代表作「心中天網島」の主人公、紙屋治兵衛が当たり役で、北新地の茶屋「河庄」の場面をして「頬かむりのなかに日本一の顔」と言わしめた。その初代鴈治郎らの一座がこけら落とし興行を行ったのが、明治44年(1911)2月、北新地内の四ツ橋筋
(原文ママ。正しくは「四つ橋筋」)に面して開場した堂島座(後、神戸に移築)であった。当日の演目は「新薄雪物語」で、鴈治郎は奴妻平を演じた。
       ☆
文化銘板(パネル)「わが北新地」6 に記されている
説明文です。うっかり、読み流していたのですけれど、
北新地内の四つ橋筋に面した場所は、「堂島薬師堂
でありませんか。明治44年(1911)、堂島上2丁目に
完成した「堂島座」によって、「堂島薬師堂」は一時退避
する訳です。「堂島座」の建物は大正3年(1914)、神戸に
移り、大正11年(1922)、「大阪毎日新聞社」社屋が跡地に
竣工。平成4年(1992)、同社が西梅田へ移転すると、「堂島
アバンザ
」が建ち、「堂島薬師堂」も旧地に復したという流れ。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 演劇近代建築建築

梅田道/ステーション道

2024_02_10_梅田新道 「梅田新道」の話を続けましょう。「梅田
 新道」の位置は確定しています。完成
 時点での名称のまま、現存している訳
 ですから。弱るのは、「将棊島」のように
 地名として現存しておらず、曖昧な印象
 (聞き覚えのある他の川や土地の名称
 等から推断してしまいがち。既に姿形は
 変わっているのに……)から、何となく
 結論を押し付けられてしまう場合。例の
 「ウメシンと露天神」の説明文を読み、
 地図に「梅田道」を見つけたところで、
 「梅田入堀川梅田運河」の東岸か
 と納得してしまいます。しかし、引用元
 とされる「内務省大阪実測図」(1888)
 に当たってみて知るのですが、元の
地図には、「梅田道」や「梅田新道」の文字は記載されておらず。確かに、東岸の道路が
拡幅されているのはわかりますが……因みに、明治14年(1881)の「新選大阪市中
細見全図
」、明治23年(1890)の「改正新版大阪明細全図」を確かめると、四つ橋筋
(「渡辺橋」に至る)に「ステーション道」と記載されていました。貨物メインだと水運に
沿っての「梅田道」、旅客メインだと「ステーション道」が重視されたとの解釈に留めます。
市内中央に渡る橋が無い「梅田道」(蜆川に元々架かっていた「緑橋」から北も先細り)
だったから、馴染み薄く、忘れ去られたのでは? 「梅田新道」は「大江橋」につながって
いましたし、後に「御堂筋」の一部区間とされても、交差点名として生き永らえています。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 地図史跡

北新地と近世文学史

富士正晴の訳文が合わないのか、『男色大鑑』を読む
ペースが落ちてきている。内容は至極愉しいのですが
……『好色五人女』をするすると読み終えた後だけに、
他の井原西鶴の代表作を文庫本で読むべきか、全集
(に準じる編集)本で読むべきか、思案中。週末のガイド
(大阪市・北新地)に向けて、補足資料も作成中。一から
制作ということにはならず、以前、作っていた年表等を
改造する流れ(⇒「北新地と近世文学史」)。古地図等の
画像を切り出す作業に時間を取られてしまい、内心焦り。
地図を読むこと=小説を読むこと=街を歩くこと、ですね。

テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

tag : 小説地図

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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